読書大好きsatonicです。
村上春樹のマイナーな短編作品、『今は亡き王女のための』をレビューします。
本記事の流れ
・「今は亡き王女のための」の内容
・個人的感想
・併せて読みたい本の紹介
「今は亡き王女のための」の内容
「今は亡き王女のための」は、村上春樹の短編作品集「回転木馬のデッド・ヒート」に収録されています。
しかしここに納められた文章は原則的に事実に即している。僕は多くの人々から様々な話を聞き、それを文章にした。もちろん僕は当人に迷惑が及ばないように細部をいろいろといじったから、全くの事実とはいかないけれど、それでも話の大筋は事実である、話を面白くするために誇張したところもないし、付け加えたものもない。僕は聞いたままの話を、なるべくその雰囲気を壊さないように文章にうつしかえたつもりである。
「はじめに・回転木馬のデッドヒート」より引用
「回転木馬のデッド・ヒート」にはこのようなスタンスで書かれた異色の作品が収録されており、読み手に特殊な感覚を抱かせます。小説よりもリアルで、エッセイよりもスパイスが効いている。そのような印象を受けます。
「今は亡き王女のための」も、そういった独特な味わいの作品です。
あらすじ
”大事に育て上げられ、その結果としてとりかえしのつかなくなるまでスポイル(甘やか)された美しい少女の常として、彼女は他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手かった。”
「僕」は彼女のそういう面がひどく嫌だったが、彼女のまわりの男たちは聡明で芸術にも秀でた才能を持つ彼女を高く評価した。彼らはスキー仲間で、そのうちの1人が「僕」の高校時代からの友人だったことがきっかけで、関わりを持った。「僕」は一度だけ彼女を抱いたことがある。抱いたといってもセックスをしたわけではない。酔っ払ってグループの仲間と共にアパートで雑魚寝をしたときに、気がついたらたまたま彼女が「僕」の左腕を枕がわりにしていた。
数年後、一緒に仕事をしたレコード会社のディレクターが、彼女の夫であると分かった。彼女は幼い子供を事故で亡くしていた。
長く自分のことだけを考えて生きてきた彼女は、自分以外のものの喪失による悲しみに耐性がなかった。
夫婦にとってのつらい時期を乗り越えた後、彼女は別人のようになっていた。
読むのにかかる時間
短く、30分くらいで読めました。
ただ、僕の場合は読み終えた後も胸のあたりにスッキリしないような、掴みどころのない感情が残って、しばらくボーっとしてしまいました。
寝る前や時間に余裕のあるときに読むと良いと思います。
個人的感想
これを読んだときに、僕は小・中学生時代に同級生だった、ある女の子を思い出しました。
彼女はこの小説の中の「彼女」ほどではないかもしれませんが、優秀でなんでもできて、それでいていささか「空気の読めない」ところがありました。
小学校までの彼女は活き活きとしていました。多少強引なところがあっても、周囲の友人たちは僕も含めて気にしていませんでした。個人的には割と仲が良かった覚えがあります。
中学生になって、自分とは別のクラスにいる彼女が不登校になったと、風の噂で知りました。
どこにでもある田舎の公立中学で、いじめなんかもありましたから、そういうことが起こったのだというのは僕にも想像がつきました。そういう危うさを、彼女は持っていました。
数か月して、登校してきた彼女に偶然会いました。久しぶりに見る彼女は、全身から「艶」というものが消えていて、動揺しました。
笑顔を作ろうとする彼女を見ながら、よくわからないもやもやとした、罪悪感に似た何かを感じたことを覚えています。
「今は亡き王女のための」を読んで、あのときの気持ちが蘇って、しばらく茫然としてしまいました。
一度通じ合った人が、知らないところで大切な何かを失くしている。それが自分にはどうしようもないことだと分かってはいるけれど、そう割り切って捨ててしまいたくない気持ちを手放したくもないと、そう思いました。
併せて読みたい本の紹介
風の歌を聴け(村上春樹)
著者デビュー作です。クセになる文体。「喪失」や「再生」といったテーマ。後の村上作品のエッセンス散りばめられています。僕はこの本で村上春樹ファンになりました。
中国行きのスロウ・ボート(村上春樹)
初期の短編集です。ノスタルジー、ファンタジー、実験的手法…。納められた7つの短編はどれも、読む人の世界を押し広げてくれます。
職業としての小説家(村上春樹)
村上春樹が「小説」をテーマに語った貴重なエッセイ集です。小説家になったきっかけや、仕事のスケジュール、河合隼雄氏との思い出など、語りつくしてくれています。村上作品が苦手な人でも楽しめると思います。